2013年8月25日日曜日

尼ロック/出港



先日、久しぶりに尼ロックに行った。
特に目的はなく、ゲートの開閉に出逢えればラッキーぐらいだった。

海側のゲートが閉まっていた、前回は開いていたので潮位の関係かも。
勿論運河側のゲートは開いている、暫くすると、一隻が入ってきた。

第八勝丸と船体に、排水量は分らないが結構大きな船である、動画で撮影した。
船体が閘門に入り終わると運河側のゲートが閉まり、船体は係留するようだ。




そして、海側のゲートが開き信号が青になり出港していった



その後、タグボートに引っ張られて艀が2隻出ていった。







2013年8月15日木曜日

18切符で上高地・③三日目下山






今日は、下山の日食事前に明神池へ・・・。
530分からだと思っていたが6時になっていた、
昨年よりまた遅くなっている・・・年々遅くなってきている。
しかし今日の池は素晴らしかった・・・・


朝靄が出ていた。


朝靄の明神池

朝陽に輝く蜘蛛の巣

朝靄の中で大きな蜘蛛の巣が朝陽に輝いていた。

朝食をすまして出発。
明神橋の欄干が朝陽と遊んでいた。

欄干・影と光

そして、上高地の青春の旅は終わり、2便早いバスで下山した。






2013年8月6日火曜日

18切符で上高地・②入山二日目




夜中に目を覚ますとまだ雨音がしていた。
4時ごろに一旦上がったようだったが5時過ぎにまた降り出した。
今朝の明神池はパスして朝食後8時ごろ出発、小降りだが
まだ降っているのでレインウェアーを着用し三脚は小屋に置いた。

遊歩道のある右岸を小雨の中歩き出した。
小雨に煙る森の中、奥に控える穂高連峰、全て非日常。
昨日あれだけ濁流だった梓川、何時もの表情とは違った梓川。

今日は、何時もの清流の表情を見せてくれている。


小雨に煙る梓川河畔

やっと河童橋まで来た、雨は上がっている、五千尺ホテルでコーヒータイム。
窓の外で手を振っている一団が・・・、よく見ると昨日の若者達だ。
また何時か会えたらいいね・…。

そして、田代池、大正池と足を延ばしての撮影。
この時期、花の種類が少ないが、写したかった《トリカブト》と《ホタルブクロ》はカメラに収めた。

焼岳と大正池

大正池が無残だった、近年浅くなってきていたが、一層酷くなっている。
中州が昨年より大きくなっているように感じた。
今回は、空が白いので余計に焼岳の噴煙が見えなかった。

大正池ホテルで、昼食後堰堤まで下がり大正池の撮影。
そしてゆっくりと嘉門次小屋まで帰着、
夕食後、囲炉裏で語らった同宿のご夫婦は
F社と取引の有ったS社の方のようだ。

夜空の撮影は、雲が多いのでパスし床に就いた。




2013年8月5日月曜日

18切符で上高地・①入山初日




7月の終わりに、仲間と18切符を利用して信州上高地に行ってきました。
大阪から4人、名古屋からの合流1人で5人の仲間。


目的は、暑い大阪の夏を避けた避暑と撮影。

清流が梓川に・・

天気の安定したこの時期を選んだのに・・・・・、
1週間前の予報から覚悟はしてはいたが前日になっても良くならない。
大阪出発時は、曇りだったがだんだんと空が怪しくなり、
上高地行のバス乗車中に本格的に降り出してきた。
車窓から見る梓川は清流とは程遠い濁流で激流に近かった。
この後のバスは運休になったと翌日に聞いた。
我々のバスが最終だったのか・・・無事入山できてよかった・・ホッ・・・

到着後雨具の着用と帰りのバスの段取りに数十分、
歩き出したのが17時を少し過ぎたころ。
目的の明神嘉門次小屋に向かって歩き出したのは良いが
だんだんと雨脚が強くなり景色を楽しむ余裕が無かった。
上流の降りが想像できる水量と濁流、明日の撮影はと心配になってきた。
やっと小屋に着き、雨具の始末をしながら宿泊の手続き
部屋に入り荷物の整理と寝床の準備。
入浴後食事となるのだが入浴まで時間が有るので
嘉門次小屋名物の囲炉裏に行くと
囲炉裏の前は、座る余地が無いほどの盛況ぶりだった、
詰めても頂きなんとか座り仲間に入れてもらった。


嘉門次小屋の囲炉裏


元従業員の若者が友達と一緒に上高地散策に来たと云う。
そんな若い人達と、他の宿泊客全部で30名は居ただろう、
ここは定員が30名と聞いているので満室状態。
勿論我々も7人の相部屋、
現在の囲炉裏番をしている、通称≪和尚さん≫が今日で退職するという。
翌日には元従業員と共に下山していった。

持参の焼酎を出すと、他の人からもウィスキー、するめ等のつまみが回って生きた。
若者たちとの会話を楽しんでいると風呂の時間になった、
が、この雰囲気を楽しみ見たいと我々全員がパス。
そして食事後にまたこの会話に・・・。
暫くして、伝言が
・・・このなかに今日誕生日の人がおられるのでお祝いの歌を…
みんなでおめでとうと合唱してお祝いに代えた。
北海道からの人で、毎年この時期は山で過ごされていると云う男性
連れの女性は他人で、3年ほど前に山で知り合い
それからご一緒に登山しているという。
この男性のお礼の挨拶の中で、毎年この時期に登山しているが
≪こんな沢山の人からお祝いして頂いたのは初めてです≫
と感激で涙声だった。 いい思い出になったようです。

我々は10時前に失礼したが、若者たちは深夜まで語り合っていたようです。
勿論消灯は9時だがそこは元従業員・・・大目に見てもらったのな…
まだ外は、雨音がしている・・・・・・・・・。




2013年7月25日木曜日

小屋番の叫び




毎年春先から晩夏にかけては山の情報を貰う為に
山小屋のHPを頻繁に覗いてチェックしそれを、
秋紅葉の時期・色・等の判断材料にしている。
通年営業している小屋もあるが、殆んどの小屋は冬の営業はしていない。
ただ冬季には避難小屋は使用できるようだ。

年が明けて開山が近くなれば、小屋明けの準備が始まる。
その前に、雪の中から小屋を掘り出すと云う大変な作業が有るらしい。
営業が始まっても、極寒に近い春山では登山客も少ないので
のんびりしているのかと思ったがそうでもなさそうで・・・・。
営業しながらの掃除から始まって整備、修理、改築、と結構大変らしい。
もっと大変で、登山者にとっては有難い登山道の整備が有る。
残雪期の雪渓のステップ切り、雪解けが進むと踏み抜き防止の穴埋め。
夏道が出て来ると、橋の修理から登山道の整備と大変らしい。

・・・・・一年を通じると・・・・・
小屋明けの準備に入りました/山のお花が咲き始めました
夏道の通行が可能になりました/混雑状況
秋が近づいています/初霜だより/紅葉・黄葉の状況
初冠雪/今年のお泊りは11月○日までです
今シーズンも有難うございました・来年は4月○日からの予定です
・・・と、一年を終える・・・

そんな合間に、山小屋スタッフの“叫び”がある。
その“叫び”を以下に紹介しよう。(穂高岳山荘&岳沢小屋ブログより)




涸沢カール

・・・山の状況・・・/春と冬(一部)
昨日は入山以来の穏やかな晴天。
気温もぐんぐん上がって除雪も一気に進んだ。ところが今日は一転して風雪となった
明日、明後日と山へ入られる予定の方も多いと思いますがくれぐれもご注意下さい。
特に明日、沢筋に入るのはヤバいです。この時期はほんとうに「春」と「冬」とが交錯する。(後略)

・・・レスキュー①・・・/たのむ(全文)
除雪をしていたら奥穂の雪壁から叫び声とともに人が落ちてきた。
見るからに重傷だがそれでも確かにまだ息のある要救助者を、
山荘のみんながそれぞれの立場で力を尽くしヘリ収容した。
誰も言葉にはしなかったけれど「たのむなんとか助かってくれ」と
心の中で祈りながらことにあたっていたと思う。  夕刻、岐阜県警を通じて一報が入った。
まだ集中治療室に入っていて予断はゆるさないけれど、なんとか一命は取り留めたと。
よかった  ほんとうによかった と少しだけ安堵。重苦しかった仲間たちの表情もちょっと明るくなった。
それにしても、  レスキュー対応の真っ只中に、 「事故があったと聞きましたがその人は

生きているんですか? 死んだんですか?」と電話をかけてきた某テレビ局、
あまりの腹立たしさに「そんなもんっ! しらんわい!!」と思わず電話を叩ききってしまったが、
少なくとも我々は現場で全力を尽くしてその人を救おうとしている。
その相手に、そんなこと聞いてくるなよなと思う。

・・・登山者①・・・/夏山点描(全文)
北穂南稜のクサリ場で行き会った、とある高齢のご夫婦
「ほらっ、そんなに岩にへばりつかないで、 しっかり足下見て。」とアドバイスする旦那さん、
すると奥さまがクサリにぶら下がりながら猛烈ないきおいで言い返す。
「そんなこと言ったって、荷物が重いのっ!  ワタシばっかしに背負わしてからっ!!」
(旦那さんの荷物は奥さんの倍はあるように見えたけれど
そんな剣呑な感じのするご夫婦ではあったものの、
最高の青空の下、大パノラマの広がる北穂山頂では仲良く満面の笑みで記念写真に収まっていた。
(シャッターを頼まれたもので気合いを入れて押させていただきました)
きっと今まで、人生の坂道をそうして二人で登ってこられたのだろうなぁと、
なにか微笑ましいような思いになって、一瞬グッときた。

・・・登山者②&登山道・・・/吊り尾根(全文)
先週、岳沢から穂高岳山荘へとむかった60代の男性(単独)がいた。
アイゼン・ピッケルなし、まともなカッパなし、ヘッドランプもなし
結局夕闇せまる午後7時頃に長野県警を通じての救助要請となり、
奥穂山頂付近で山荘スタッフが収容した。
今時期の吊尾根は急峻な雪渓のトラバースが数カ所あって、
アイゼンなしでの通過はちょっと考えられない。
「その装備でよくここまで来られましたねぇ」となかば呆れ顔でスタッフが問うと、
「いやぁ〜、なんとかコレ(コウモリ傘)があったンで  

コレが無かったらムリでしたわ!」と、そのおじサン。
おいおい、そらぁアカンやろ
で昨日、まだ時期としてはちょっと早いのだが、連休も迫ってきたことであるので、
通年行事のような作業である吊尾根の雪渓の「道切り」に行ってきた。
紀美子平の奥穂側に2カ所、それぞれ20m25mほどの雪渓が残っているところに道を切る。
固くしまった雪渓はスコップだけではなかなか手強く、チェーンソーまで持ち込んでの作業である。
これで一応アイゼンがなくても通過は可能。
でも、重太郎新道にはまだ雪があるようだし涸沢周辺もまだまだ残雪が多い。
ザイテングラードのルートも「道切り」を済ませてはあるが、

下部ではかなりの距離を雪渓を歩かねばならない。
今週末の連休では軽アイゼンていどは持たれたほうがよいです。
それと、くれぐれも傘を使った雪渓トラバースは止めましょう。  キケンが危ないです。

・・・レスキュー②・・・/夜間救助(全文)
ニュースで喧しく報じられているように、また山で悲劇がおこってしまった。
北アルプスでの遭難死亡者が8名となる惨事。うち1名は穂高・涸沢岳でのものであるが、
その涸沢岳の一件では死亡者が6名となっていてもおかしくはなかった。
昨夜、涸沢岳で行ったレスキューの詳細をここに記すことはしないけれど、
一般の報道ではうかがい知れない壮絶な行いであった。

遭難場所が涸沢槍という難所であるのに加えて天候は吹雪、しかも夜、
稜線では気温-3℃で風速は20メートル以上、体感気温は-25℃にもなる。
諸状況を考えれば1名の遭難者を救うのでさえ困難かと思えるシチュエーション。
それが6名も正直なところ現場へ赴きつつも、仲間たちのことを考えれば、
どこで線を引いて撤退するべきかを考えていたのが偽らざる心境であった。
だがそんな懸念なぞ関係なしに、いつしか関係者全てでの総力戦のレスキューとなっていった。

県警山岳警備隊、穂高岳山荘スタッフ、居合わせたドクターと看護士の方たち
そのひとりひとりが、救助要請の第一報が入った午後7時頃から最後の要救助者を収容した午後11時過ぎ、
そして蘇生措置を行った深夜まで、それぞれのポジションやスキルのなかでの精一杯の戦いを繰り広げた。
力を尽くしたにも関わらず、結果としては残念ながらひとりの方が命を落とされてしまった。
その方を背負ってきた若い救助隊員は悔しさでぼろぼろと泣いていたが、
僕はむしろ、あの状況下で6名すべてを山荘へ収容できたことが奇跡的だとも感じた。

収容後の措置で蘇生した方も数名いて、
外での救助活動に加えて、山荘内でのあの懸命な処置がなければ犠牲者の数はもっと増えていたと思う。
躊躇なしに自分たちの防寒衣類を与え、湯をわかし、部屋を暖め、処置に奔走する。
それも寝静まった一般の宿泊客の方々へ迷惑をかけることなしにである。
僕は過酷な現場でヘロヘロになってはいたけれど、
そんな仲間たちの頼もしくかつ素晴らしい行いに、改めて穂高岳山荘というものに感動した。
穂高で小屋番として身をおく以上、こうしたレスキュー現場にたずさわることは結構ある。
今回はそんな経験のなかでもかなり過酷なものであったことは間違いない。

我々は漫画「岳」の三歩クンのようなスーパーマンでは決してない。
「できることはできるけど、できないことはできない」が信条の生身の人間だ。
でも僕たちにはそんないたらない自分をフォローしてくれる頼もしい仲間が大勢いる。
だから、三歩クンの口癖であるあの言葉を、今回は(自分を含めた)仲間たちへこそ捧げたい。
みんな、「よくがんばった!」・・・・
(翌日も別の遭難が有り同じ夜間救助だったそうだ)

・・・登山者③・・・8週連続(一部)
(前略)まあ、昨日などはアイゼンもピッケルも持たないバックパッカースタイルのスウェーデン人女性が
「立山まで行きたい!」とか、一目見れば素人と分かる韓国人女性が前穂を目指し、
ルートも知らないのにそこらじゅうを右往左往して、あげくにはおかしな急斜面に迷い込んでしまう始末。
見るからに危ないので、ちょうど来ていた友人に双眼鏡を渡して監視を
お願いしてたら・・・、しばらくしてから「落ちたよ!」と。
ほんとそんなんばっかりですから、人は少ないほうが助かります。
もちろんきちんと登れる人、きちんと装備を持っている人は登ってもらっても全然構わないのですが、
そういう人にはちゃんと「登れるオーラ」があります。
服装の着こなしとか持っている装備とかそのパッキングの仕方とか
山を見つめる視線とか動作の一つ一つとか…。そういう人にはあえて声もかけません。
逆に登れない人にはそういうオーラが無いのが一目で分かりますから、
やはり「どこまで行くの?」と一声かけさせてもらっています。
もちろん私の答えは「無理」、「ダメ」、「また夏に来てください」です。(後略)




2013年7月15日月曜日

屋久島の旅③ 縄文杉と紀元杉





屋久島に在る杉はすべてが屋久杉だと思っていたが、そうでは無いことが今回の訪問で知った。
それは後述するとして、前回は登山口からウィルソン株まで、
今回はそれから大王杉を経て、夫婦杉を眺め小一時間ほど歩くと縄文杉に遭える。
しかしここまでの歩きに結構体力を使っているので、大王杉と
夫婦杉は殆んどスルーに近い状態で先に進んだ。



大王杉



その大王杉は、標高1190m、樹高 24.7m
周囲 11.1、推定樹齢 3000年

下部には割れ目があり、中はすっかり空洞になっている。

縄文杉の発見までは最大の屋久杉といわていたらしい。






縄文杉


そして、屋久島のシンボル的存在である縄文杉である。    
標高1280m、樹高15.3m、周囲16.4m、
推定樹齢2140~7200年。


現在確認されている屋久杉の中で最大といわれる
この縄文杉の名前の由来は、
≪縄文時代から生きている≫という意味と、瘤だらけで
≪樹形が縄文土器に似ている≫からの2説があるらしい。

やっと会えた屋久島の主、
しかし保護のためと称して近付く事が出来ない、
しかも一番見栄えのいい位置には
枝の落下の可能性が有るので立ち入り禁止になっていた。
         
太古の昔からここでず~と生き続けているその姿は、何か神にも似ていて神々しかった。
この縄文杉を含めて、今回会えた屋久杉にはウィルソン株を除いて《しめ縄》も《祠》も無かった。
信仰の対象になっていないらしい、なぜその対象になっていないのか?
その答えは、翌日のバスガイドさんの説明がヒントになる様だ。
翌日は、ヤクスギランドから紀元杉の観光へとバスで巡った。


紀元杉

紀元杉


ヤクスギランドには森の中に遊歩道が有り、周遊しながら屋久杉の生態を観察でき様になっていた。
最後に出逢ったのが紀元杉、縄文杉と違って真下まで行けて手で触れる事が出来た。
私には、縄文杉より迫力を感じたし太古の息吹?に触れた思いだった。

紀元杉・・・標高1230m、樹高19.5、周囲8.1、推定樹齢3000年
しかし、なぜ何千年も生きてこられたのか、ガイドさんの説明によれば、
木の表面がでこぼこしていて建築材としての
価値が低くて伐採の対象になら無かった事と、屋久島の劣悪な環境で
育ちが遅く材質が硬い事が現代まで生き延びた要因だそうだ。

その醜い姿から信仰の対象にならなかったのかも。
ガイドさんの説明で初めて知ったのだが、屋久杉と呼ばれるには、
樹齢1000年以上でないとそう呼ばないそうで、それ以外は小杉と称するという。
それも、自然杉だけで、人間が植えたものは地杉と称して区別しているとの事だった。
もう一つ、樹齢が推定となっているのは、木本体に傷を付けられない事と
切り株は、空洞のため年輪が数えられないからと説明を受けた。



2013年7月5日金曜日

職務尋問/プロの眼力





先日、自転車で街中を走らせていたら、いきなりパトカーに呼び止められた。
何事かと止まったら、≪イヤホンは危ないですよ≫


≪ほっといてくれ≫と応酬したが、目的は其れではなく、自転車だったようだ。





どこから来られましたか・・・○○から・・・

そこにどのくらい住んでおられますか・・

××年・・・それ以前はどこに?・・・

△△市・・・この自転車は?・・・




盗難自転車・・いや泥棒と間違われたのだ・・・カチンときた・・ちゃんと調べて!!・・・


盗難登録番号と車体番号を△△市に照会したが、解らなかった様だ。
登録がもう10年以上前、記録が無いというより記録簿を探すのに時間がかかるのだろう。

で・・・なぜ止めたのか不思議に思い、自転車を見て気が付いた。
登録シールだ、他府県と色が違うのだろうと、尋ねると年度によっても違うそうだ。

しかしそのシールはサドルの下に貼ってあり、足で見難いところなのに・・・。
プロとはそんなもの、テレビの「警察密着○○」を見ていて感心していたが、
自分がそんな職質を受けるとは・・・・・戸惑いを隠せなかった。




交通事情

交通事情 先日所用で市内路線バスを利用した。 すこし早めにバス停まで行き時刻を確認してベンチに座った。 ガラ携を操作しながら、○○番の乗り場は? と高齢の男性に尋ねられた。 教えた方向に男性が歩いて行ったが、 間違っていることに気...