2015年6月25日木曜日

一期一会/えにしの50年



先日、友人と食事をしていた時
いきなり、「知り合ってからもう50年になるね」
と云われた。
「えっ?・・・」
「そうか、あれから50年か・・・・そんなになるのか?」
そんな友人と初めて会ったのは、
私は高卒で、A産業でもう仕事していた、
友人は同い年で大卒の新人さん、
同じ独身寮、同じ下宿で数年間の東京暮らし。
彼は先に大阪F社に転職、
私も彼に誘われて同じF社に・・・・。
F社では、彼と一緒に社内のユーティリティーを担当し、
それから私は生産現場の廃水処理担当に。
そしてF社卒業間際に、廃水関係のプロジェクトチームで
リーダーとメンバーとして、一緒に仕事した。
F社での、最初と最後の仕事を彼と一緒のできた事は、
私にとっては一つの財産かもしれない。
F社の卒業後も、OB会のお手伝い、
カメラに登山と一緒に動く事が多い。
同じ関西出身で、東京の大手町で出逢い
寮、下宿と一緒に過ごし、
関西に帰って来て大阪の関空の近くで仕事をし、
そして仕事を離れた今日までの長い50年。
二人がこれ程の時間を波風立たずに、共有出来たのは、
利害関係が無かったからかも・・・。


2015年6月15日月曜日

アンケート調査

                           
3月の初めに、アンケート調査をした。
卒業した会社のOB会の調査で、来年30号を迎える年誌と
一昨年始めたHPの方向性を見つける為のアンケート。
回収された回答を見ると矛盾だらけ、
設問の難しさを知った。
回答氏曰く、「75歳過ぎた人間の意見は無視して結構です。」
笑ったのは、「PCが壊れた、新しいPCは難しい」
何れも80歳代の男性意見、
云い得て妙。
設問も70歳を超えた人間、
年よりの戯言では有る、しかしながら全体を見ていると
この会の姿が見えるような回答になっていた。
やはり実施した意義は有った様で、
ある解析氏曰く「たかがアンケート、されどアンケート」。



2015年6月5日金曜日

足の馴らし運転

                         
5月26日に、足馴らしに金剛山に行ってきた。
昨年9月末から10月初めに涸沢から帰阪して以来
8カ月振りの登山、この金剛山は約3年ぶりだが、
コースも頭に入っており、
以前歩こう会で歩いた時の状態と比較出来るから、
この山とこのコースを選んだのだが、
歩き始めて2~3分で、念仏坂の往復にすればよかったと後悔した。
いきなり、なが~~い 階段だったからだ、しかしこの階段は
初めから分っていた筈である。

登山口から頂上の茶店前までの昇りが3時間、
そして頂上からバス停までの下りが2時間
1時間ぐらいは掛かり過ぎの様だが、
脚馴らしの登山で1時間のロスはよしとしよう。
登山中に、セミの声を聴いた。
セミと判るまで少し時間が掛かった、「えっ・・・この時期に?」
と思ったからである。
野鳥では、ツツドリ、ウグイス、の声を聴き、
カケス、サメビタキ、の姿を見、サメビタキは撮影に成功した。
成功したと云っても、カメラを向けていた人に教えて貰っての撮影。
帰宅して、筋肉痛はあるものの股関節、膝に痛みが出ていない。
しかし乍ら、帰宅の電車の中では、風呂が恋しかった。

「もう一度、山に行けるようになります」
「それも、夏までに」
と云った、整体師を信じてよかった。
これで、次のステップに移れそうだが、それには
もう少し、階段の歩行を多めに取り入れる事が必要のようだ。


2015年5月25日月曜日

交差点でのある会話


                       
或る日の、ウォーキング中での事、
信号機の付いている交差点を渡らずに
右折しようとしていたら、クラクションが鳴った。
気に留めなかったが、後ろで「あれは、無理」・「うちは、ようせん」
と云う会話が聞こえた。
振り返ると、中年のおばさん2人、自転車を降りて信号待ち。
交差点には、自転車の中年おばさんが・・・。信号は、「赤」これを無視しての進入・・・。
これに対する警告のクラクションだった。
私が反応したのは、2人ずれの次の会話
あれ(・・)だけ(・・)は、無理」・・・「あれ・・だけ・・、ようせん」
「ん?」・・・・あれだけは?・・・・という事は、
あれ以外はしてるという事?
そうかもしれないな~
先日の事、信号機の無い交差点を2台の乗用車が
通り掛かったので止まった。
1台目が通り過ぎた、2台目が止まったので 「どうぞ」 と手で示したが
動かない、2回ほど示したがまた止まっている。
すると、私の後ろから2台の自転車が渡って行った。
ドライバーは、私でなくその後ろのそれも自転車のスピードを考えながらの
停車だった様である。
事故が起こらない方が不思議。
兵庫県が、自転車保険を義務付けたと云うが

罰則規定が無いらしい、先ずは意識付けと云う事か。



2015年5月15日金曜日

地下鉄梅田駅で


昨日、何時もの定例会の帰り、
と云っても普段ならベッドに入っている様な時間帯。
何時もの様に、アルコールが入って、
心斎橋から地下鉄御堂筋線に乗ったのが22時前、
車内は、混んでいるほどでも無かったが勿論座れない。
梅田に着いたので、JRに乗換で下車、
普段なら階段を利用するのだが、
最近の足の不調でエスカレーターを使おうと並んだ。
私の後ろにも並んでいる。
すると一人の男性が私に横に来た、
横入りだなと思いながら、歩を進めた。
とたんに私の脚の下に彼の足が、私は構わず歩を進めた。
後でなんか騒いでいる。
曰く「人の足を踏んで何もないんか!!?」
わたし「・・・俺の足の下にあんたの足が入っただけやろ・・・」
「人の足を踏んで・・・・ぐじゅ、ぐじゅ・・・!!?」
「・・・」
エスカレーターを登り切っても
「人の足を踏んで・・・・ぐじゅ、ぐじゅ・・・!!?」
「外に出て話ししよう」
まだ・・・「人の足を踏んで・・・・ぐじゅ、ぐじゅ・・・!!?」
「あんた、さっき横入りしたやろ」
「こんな訳の、分らんおっさんに言ってもしゃーないわ
・・・・ぐじゅ、ぐじゅ・・・!!?」
と云いながら、離れていった。

訳の分らんのはどっちかな?


2015年5月5日火曜日

五月晴れ

2015年05月05日
                            

雲ひとつない青空、 五月晴れである。
いわゆる「ピーカン」
写真では、あまり歓迎されない空であるが
気持ちの良い空では有る。

特にこの季節は、鯉のぼりとの対比が美しい。

親子と鯉のぼり

昨秋から、歩数を以前の半分の
10000歩と決めて
歩いていたが、
天気も良いし、
 脚の状態も少し良くなり
以前の庄下川の周回コースを歩いてみた。


勿論、ポール2本持ってのノルデェック・ウォーキングである。
自宅から半周で、12000歩位の距離で
以前は休憩なしで歩いていたが今回は、
途中で2~3回の休憩を入れた。
やはり、「頭は青年、体は老年」であった。
前に、目を向けると橋の向うに、「鯉のぼり」が気持ち良さそうに泳いでいる、
数が増えている様に感じた。
気持ちの良い汗をかいて、コースを離れた。
やはりと云うか、歩幅が小さくなっているのは解っていたが
帰宅して、歩数計を見たら15000歩を記録いていた。


2015年4月25日土曜日

家紋



「丸に剣花菱」

これが我が家の家紋である。








家紋とは、武家だけが使えるものだと理解していた。
しかし調べてみると、そうでもない様で
元禄時代に庶民階級で大流行したと云う。

以下調べた結果です。
その数およそ2万点という、家紋の成り立ちは
平安時代中期頃、身印(みしるし)と呼ばれ、
高貴な人を象徴する目印として、牛車や持ち物にマークとして用いられたようで、
今日で云うと会社の社章のような物と出ていた。
平安時代、貴族の個人シンボルマークとしてスタートした紋は、
認知度が高まるにつれて家の紋章=家紋として定着していき、
権力を引き継いだ武家達も用いるようになったという。
戦国時代では、敵味方を区別する軍事的な
要素(戦意宣揚の旗印)が強かったのだろう。
シンプルで判別しやすい意匠が好まれ、
「戦勝をイメージするもの」 「めでたい縁起柄」 も好まれたという。
文様の原型は、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものから始まり、
室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化。

合戦が日常茶飯事となった戦国時代中期頃、
急速にその種類を増やし全国に普及。
戦場で功績のあった者には褒美として家紋を与えるという風習もできました。

江戸も元禄時代になると、家紋は庶民階級に大流行。
流行のリーダーはいつの時代も芸能人達であったようで、
役者や遊女が競って紋を付けたことから、町衆も好みの紋を選んで身にまとい出した。
純粋なファッション、遊びの文化として家紋が脚光を浴び、
それを専門にデザインする絵師(紋上絵師=もんうわえし)も生まれたと云う。
庶民階級にも苗字・家紋が許されるようになった明治に
家紋を定めた家は大変多いとされています。
という事は我が家も、その頃に・・・・かも。
それともご先祖がかってに・・・。


交通事情

交通事情 先日所用で市内路線バスを利用した。 すこし早めにバス停まで行き時刻を確認してベンチに座った。 ガラ携を操作しながら、○○番の乗り場は? と高齢の男性に尋ねられた。 教えた方向に男性が歩いて行ったが、 間違っていることに気...