私には、数回の遭難経験がある。(あえて遭難と言っておきます)
このことは、昨年6月5日付けの
山の遭難 ・ 「頭は青年、身体は老人」で報告した、
そして、12月5日付けの「山小屋に泊る(Ⅶ) 到着時間」で
詳細は、項を改めてと約束を・・・。
体験した4件、何れも道迷いである。
原因は無知から来る、思い込みと道標の確認不足である。
結果的には、何れも無事に帰着出来たのではある。
このときに、地図を持参して、それが読めておれば防げた可能性大であった。
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白山で撮った一枚 ハクサンボウフウ? |
一番怖かったのが、白山でのこと。
17年程前(まだ現役時代)の夏、会社の
ツアーに参加、朝大阪をバスで出発し、
別当出会から南竜分岐、黒ボコ岩を経て
遅くとも17時半ごろには室堂山小屋に
到着の予定で別当出合から
12時過ぎに歩き出した。
我々2人は写真撮影が目的だったのでリーダーに承諾を得て、
本体と別行動で歩き出した。
この時の2人とも山の怖さはもちろん登山の知識は皆無。
南竜分岐(室堂分岐)を見過ごし次の分岐で室堂と道標があったので
曲がろうとしたら○○さんが、“山小屋はそんな高い所には無い”
と無知が故の主張、勿論私も無知で反論の材料が無い
(簡単な地図を貰っていたので見ればよかったのだが・・・・)
そのまま直進約30分後山小屋に着いた、時間は16時少し前。
室堂山小屋ではなく南竜山荘と書いてある、やはり間違いだ。
小屋前で休憩していた人に室堂山小屋ではないことを確認して室堂への道を聞く、
山越えと引返す2ルートがあるという、迷っている時間は無い、
○○さんに有無を言わせず即決で引き返すルートを選び歩き出した。
それでも早くても3時間は掛かるだろう。(ここでもう既に余裕を無くしていた)
2人共無言(私は怒っていたので・・・)、必死に歩き先ほどの
道標のところを曲がり、登りになった。
そのうちに日が暮れ漆黒の闇に、頼りになるのは二人のヘッドランプの光だけ。
初めての漆黒の闇体験、
恐怖感、しかも急登、こんな闇の中を一人ではとてもじゃないが歩けない、
必死さがそれより強かった。 (もっとも一人では迷わなかったかも・・・
しかしそんな男でも漆黒の闇では2人だというだけで役に立っていたようだ)
幸いに階段状の木道、歩き易い。この先に目的の小屋があると思うだけで
少しほっとし、急登とあいまって歩くペースも遅くなりかいた汗が冷えてきた、
特に帽子の縁の汗が冷えて頭が締付けられる様に痛い、外すと寒いがその方が歩き易い。
しかし、足は相当疲れているはずなのにまったく疲れを感じていない、
それだけ必死に歩いていたのだろう。
止まるわけにはいかない、時計を見る余裕すらなくしている。
止まることと、周囲を見ることが怖かった。
前を向いて必死に歩いていたから恐怖心が少なかったのだろう、と今になって思う。
どれ位歩いただろうか、分岐が見えてきた、片方は下り、もう一方は登り。
当然登りが小屋への道だろうと曲がりかけた○○さんはこんな狭いところは道ではないという、
見ると、大きな岩2個が道をふさいで、わずか人一人通れる位しか開いていなかった。
だがよく見ると足元の岩が黒くなっており、しかも左右の腰の辺りの
岩は登山者の手の跡なのか黒光りしている、これが登山道だ、人が通った後が黒い、
と言っても、またもや “いや違うと” 言い張った。
少し下の道標の矢印を確認し “間違い無い” と私が云ったがまだ違うという。
“だったらあんたは違う道を行けばいい、俺はこの道を行く”
と怒りながら歩き始めると彼もしぶしぶ付いてきた。
助かった
しばらく歩くと(もちろん二人とも青息吐息である)、上から名前を呼ばれた、
“F社さんの××さんですか” 返事をすると “お仲間が上で待っておられますよ”
と帰ってきた “小屋は?” と聞く “このすぐ上…” するとすぐその上から
“××さん、○○さん” と聞き覚えの声、
“助かった” と思った瞬間その場に座り込んだ。
もうすでに20時を超えていた。
有難かった事はそのときのリーダーが小屋と交渉して食事を二人分残して貰っていた事
しかし私は疲れていて一口付けただけで後は喉を通らなかった。
○○さんは、何事もなかった様にぺろりと平らげていた。
部屋に入り、皆さんにお詫びしたのは当たり前であり、
小屋外に連れ出して、星空を観賞さして頂いた仲間に感謝。
○○さんからは詫びの言葉は無かった。勿論仲間にも。
後年、この話を他の山小屋で体験としてこの話をすると、
よくそんな闇の中、歩かれましたね。
山の常識は ≪暗くなると、行動しない≫ のだと教えて頂きました。
整備された木道だったから・・・
岩稜帯であれば目印が見付からなかったかも・・・
それを思うと・・・・。
無知が故の遭難、無知が故の帰還・・・・・だった、のかな。
こんな経験があるから、私の登山は時間だけは余裕を持つようにしている。
午後から登り始めること自体が神風登山ではなかろうか。
≪早や発、早や着≫ が山の基本
だから穗高山荘2代目の、
≪ここに着くのが午後3時とか4時とかが当たり前なんだよ!!≫
の言葉が、身にしみて理解できる。