零戦のエンジン |
京都府八幡市にある
「飛行神社」の名前を最初に知ったのは、
随分前のことだが、「飛行機神社」
と記憶していた。
この神社は、
ゼロ戦のエンジンが展示されている
事でも有名らしい。
先般友人と参拝した、
友人いわく泉佐野市にも飛行神社があるよと・・・
調べてみると「航空神社」とあった。
この名の神社は、東京羽田、大阪泉佐野、他、と数箇所に有ると言う。
この聞きなれない神社はどんな神社かと調べてみた。
飛行場の開設と関係が有りそうなので、全国の飛行場の中にもっと有りそうですね。
何れも、航空関係者の安全を祈願しているようであるが、泉佐野の航空神社は交野市にある磐船神社から分柱して御祭しているようです。(飛行神社も同じ)
飛行神社で検索すると、「二宮飛行神社」・「飛行神社」の二つがヒットした。
「二宮飛行神社」・・・「二宮忠八」の功績を称えて出身地の有志で愛媛県八幡浜市に建立。
「二宮忠八」氏とはどんな人なのか、
調べると。
1866年(慶応2年)現在の
愛媛県八幡浜市生まれ、
1936年(昭和11年)没。
陸軍従軍中に、カラスの滑空を見て羽ばたかなくても飛べるの?・・・と飛行原理を発見し
翼幅45cm、全長35cm、ゴム動力の「模型飛行器」(飛行機にあらず)を10m飛行させて、
翌日には約36mを飛行させ日本初のプロペラ飛行実験を成功させた。
これはライト兄弟よりも先だったらしい。
その後、軍に上申するも、戦時中(日清戦争)であるとの理由で却下された。
退役後、大日本製薬株式会社に入社、
業績を挙げて支社長にまで昇進し、
資金目処が立ち開発するもライト兄弟に先を越されて
飛行器の開発を取りやめ、製薬の仕事に打ち込む。
二宮忠八の死から18年後に英国王立航空協会は自国の展示場へ
二宮忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、
彼のことを 「ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人物」
と紹介されている様です。
飛行機開発から離れた二宮忠八は、
飛行機発明以来、航空事故が多発するようになったことに心を痛め、
事故犠牲者の慰霊が飛行機開発に携わった者としての責任だと感じ、
私財を投じて犠牲者の霊を祀る飛行神社を1915年(大正4年)に自邸内に創建した。
現在の社殿は1989年(平成元年)に飛行原理発見百周年を記念して、
二宮忠八の次男二宮顕次郎氏によって再建されたもので、
拝殿にはトビウオのステンドグラスが飾られ、ジュラルミン製の鳥居が建っている。
境内には、「F104戦闘機」のジェットエンジンと
大阪府岸和田市の漁師の網に掛かったといわれる
「零式戦闘機」のエンジンが展示されている。
0 件のコメント:
コメントを投稿