2012年6月25日月曜日

また・また・ 緑の二輪草


昨年の宿題を果たすために、今年も山麓の妖精達に会いに上高地に・・・・。

その宿題とは、緑のニリンソウに会いカメラに納めること。

 
ニリンソウのお花畑





バスを降り小屋に向かって歩き出す。
 
山道の両方にニリンソウが咲いている、昨年はこの山道には無かったというより、終わっていた。

1時間ほど歩き、小屋まであと少しの所で、二人連れがニリンソウを観ておられたので・・・。

洒落と、 《まだです》 の答えを期待?して、

                   《緑のニリンソウを見付けられましたか》 と声を掛けた・・・・。



緑のニリンソウ
すると・・・即座に 

【ここにありますよ!!】・・・・と帰ってきた・・・・

これにはこちらがびっくり。






 昨年3日間も探して見付からなかったのに、こんなにも早く出あえるとは思ってもいなかった。

早速確認し、教えていただいた礼をいい、撮影は明日にして山小屋に急いだ。

小屋でこの事を云うと、《今年は天候が不順でニリン草は長く楽しめるようです》 との返事だった。


出会えたのは「幸せ」になれると云う 
二色のニリンソウ


    《緑》 だけではなく 《白と緑》 

      の二色のものもあった。

     二色のほうが目立つのに、

    こちらの方が珍しいのか、

      出会えた数も少なかった。






緑のものは、周囲が緑なので見つけにくいが、

一度見付けると目が慣れて来るのか結構出会えた。

「あった」、「また、あった」、「また、また」・・・・こんなに沢山あると、

幸せ伝説がいささか怪しくなってくる

が、出会った人にお教えしたが、見つけられなかった人もおられた。

やはり幸せ伝説は活きている様です。


普通の白いニリンソウ





そして4日間、山麓の妖精達と戯れながら新緑と森林浴を満喫した。

いずれにしても突然変異だとは思うが、一度会いに出かけてみては如何でしょうか。




2012年6月15日金曜日

金星通過


5月21日の金環日食に続いて、

6月6日は金星が太陽面を通過と云う天体ショー・・・・。

生憎と上高地は曇り空、

金星の通過時間までに晴れ間があればラッキーと思いながら

明神から大正池に向かって、高山植物と新緑を写していた。

そんな状態で、2回の晴れ間があり、空に向かってレンズを向けた。




 
8時27分

始まってから約2時間経っていたが、

やっとは雲間から顔を出してくれた。


カメラをセットし、

8時27分シャッターを切る。


その後直ぐにまた雲の中に・・・。











11時25分
昼食の頃になり、

また日が差してきた。

他の観光客の

邪魔にならない場所を探して、

カメラをセット。

時計を見ると、11時25分。

金星は太陽の真上に有った。


そしてまた雲の中に・・・・・。








2012年6月5日火曜日

山の遭難 ・ 「頭は青年、身体は老人」



涸沢岳・・・11年10月雪の朝
5月6日の新聞に、

・「北アルプス 8人死亡」

・「中高年、相次ぎ遭難」。


と北アルプスでの遭難が報じられている。

白馬(しろうま)(だけ) 2932m・・・6人・全員死亡

爺ヶ岳(じいがだけ) 2670m・・・1人(単独行)・死亡

涸沢(からさわ)(だけ) 3110m・・・6人・1人死亡


何れも低体温が原因だと報じられてはいるが、同時に判断の甘さも指摘されている。
                                                
「春山ガラリ 猛吹雪」の見出しも。

冬山の荒れは当たり前、春山はもう雪が降らないと考えているのかも知れない。

そして7日の夕刊には、(おく)()高岳(たかたけ) 3190mで3人の滑落事故・・・2人死亡と。

私には、彼らを責める気もその資格も無い。

私も、遭難(と言える?・・・道迷い)の経験が数回あるから。

1白山・・・・・現役時代会社のツアーに参加

本体と別行動で午後4時ごろに間違った山小屋に到着、

漆黒の闇の中を必死に歩き、

午後8時過ぎに目的の山小屋に到着・・・本体の皆さんに心配と迷惑を掛けた。

・・・1人だとここまで歩け無かっただろう。


2上高地・・・単独行で(涸沢カールに写真撮影に)

明神まで来て道標が有るのに反対方向に曲がり、

上高地に逆戻りし2時間のロスで5時に到着。  
 
小屋の人にもう少し早く到着するように注意された。


3高見山・・・歩こう会で

撮影中、最後尾にいた人が、追い付き待ってくれたので直ぐ追うからと先を促し、

後を追ったが追い着かない、道を間違えたと思い引返した。

仲間とは電話連絡は取れたものの出会えない。

仕方なく途中出会った高校の山岳部の皆さんにお願いして、

一緒に下山し車で仲間の待つバス停まで送っていただいた。


4竜王山・・・歩こう会で

沢を渡り左折(道標有り)するところを

メンバー8名全員が右折(登山道では無い旨の道標有

り・・・全員が見落し)した、間違いに気が付いた時点で、

地図で現在位置を確認後冷静にな

るために昼食とした。

昼食中に、単独行の男性が下りてこられて、

「下山道が判らないと」・・・我々も迷っている旨

を告げて沢のところまで同行しわかれた。

この様な事が低山歩きでも起こり得るトラブル、

ましてや春とはいえまだ雪が数メートルも残っている

高山では想定外以前の問題だろう思う。

私は、「頭は青年、身体は老人」

と自分自身に言聞かせながらの行動しているつもりではあるが。

以前は出来た事でも、今出来ない事が身体は知っている、

が・頭が知らない、いや知りたがらないのでは。

「この位なら(いける)」なのか「この位でも(いかない)」なのかで随分違ってくる。

「この位なら(いける)」=過信になってはいないだろうか。

「昔とった杵柄」は長い間使っていなかったので柄が細くなっているのを早く気付くべき。

早めの判断が、その後のリスクを下げてくれる事は確かである。


ただ装備だけはしっかりとしてほしい・・・。

それは自分の命を守る為に。


数年前に奥穂髙岳への山道、標高2500m地点で、

足元はスニーカー背中にはデイバック、手にはこうもり傘、

頭はタオルで帽子代わりにかぶっている。

着ている物はと見ると半袖のTシャツ一枚、

こんな服装の2人組に出会った事がある、

それも雪が降ってもおかしくない10月の始め・・・まるでタウンウォーキングである。

白馬岳の場合、ザックに中にダウンジャッケトとツエルトがあったと後の報道で知った。

涸沢岳の場合も、装備は冬山装備だったらしいが、

日が落ちて吹雪の中の救助活動は何時撤退を・・・と始まったらしく、

亡くなった方を背負って小屋まで担いだ若い隊員は助けられなかった悔しさで泣いていたそうだ。

小屋で蘇生されて方もいた様で、犠牲者が1人だけで、5人が無事だったのは奇跡に近いと、

小屋のHPで救助活動に携わった「ぼちぼちいこか」氏は云っておられる。


何故こんな事を、と言われそうですが涸沢岳は毎年カールから眺めており、

何回と無くレスキューのヘリを見かけており、

ブルーシートに包まれた御遺体らしきものを見かけた事も有るので他人事ではないのです。


今年秋に奥穂髙岳・涸沢岳

夏には槍ヶ岳・南岳にチャレンジする予定で、

自戒を込め自分に言い聞かせているのが実情ですが、本音は怖いのです。

そして、入山の前には慰霊塔にお参りして入山儀式としている。


やっぱし、槍、穂高へのチャレンジ計画を、

無理をしない様にもう一度見直そう。

夜行バスもJRに変更しよう。 その分1泊増やせば・・・・。









交通事情

交通事情 先日所用で市内路線バスを利用した。 すこし早めにバス停まで行き時刻を確認してベンチに座った。 ガラ携を操作しながら、○○番の乗り場は? と高齢の男性に尋ねられた。 教えた方向に男性が歩いて行ったが、 間違っていることに気...