2015年4月25日土曜日

家紋



「丸に剣花菱」

これが我が家の家紋である。








家紋とは、武家だけが使えるものだと理解していた。
しかし調べてみると、そうでもない様で
元禄時代に庶民階級で大流行したと云う。

以下調べた結果です。
その数およそ2万点という、家紋の成り立ちは
平安時代中期頃、身印(みしるし)と呼ばれ、
高貴な人を象徴する目印として、牛車や持ち物にマークとして用いられたようで、
今日で云うと会社の社章のような物と出ていた。
平安時代、貴族の個人シンボルマークとしてスタートした紋は、
認知度が高まるにつれて家の紋章=家紋として定着していき、
権力を引き継いだ武家達も用いるようになったという。
戦国時代では、敵味方を区別する軍事的な
要素(戦意宣揚の旗印)が強かったのだろう。
シンプルで判別しやすい意匠が好まれ、
「戦勝をイメージするもの」 「めでたい縁起柄」 も好まれたという。
文様の原型は、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものから始まり、
室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化。

合戦が日常茶飯事となった戦国時代中期頃、
急速にその種類を増やし全国に普及。
戦場で功績のあった者には褒美として家紋を与えるという風習もできました。

江戸も元禄時代になると、家紋は庶民階級に大流行。
流行のリーダーはいつの時代も芸能人達であったようで、
役者や遊女が競って紋を付けたことから、町衆も好みの紋を選んで身にまとい出した。
純粋なファッション、遊びの文化として家紋が脚光を浴び、
それを専門にデザインする絵師(紋上絵師=もんうわえし)も生まれたと云う。
庶民階級にも苗字・家紋が許されるようになった明治に
家紋を定めた家は大変多いとされています。
という事は我が家も、その頃に・・・・かも。
それともご先祖がかってに・・・。


2015年4月15日水曜日

中央公会堂お前もか/防振ゴム免震不足

              
今問題になっている、防振ゴムの基準が新聞に出ていた。
それによると、最大変形幅が
隣接する建物との距離の100%未満らしい。
有事の場合でも建物同士がぶつかる事がない
距離に設定している事になるのだが、
これって設置時点での基準で有って、
防振ボム自体の基準では無いと思う。
しかしそんな難しい事は別にして、
当方の住んでいるマンションは?と思ったが
兵庫県内の当該建物は無い、と出ていたので一安心はしていた。
先日、掲示板に
「使用防振ゴムはT社製では無くB社製でB社から
問題無し」との回答が有った旨の知らせが有った。
そういえば、以前に免震効果についた質問したことが有り
「震度7で、一階部分で60%程度の軽減」
との解答だった。
その免震不足のゴムが、
毎月のOB会の会合に利用している
大阪市中央公会堂にも使われているらしい。
2002年のリニューアル時に免震装置を
導入したとの報道が有った。




2015年4月5日日曜日

昨日は、皆既月食だったが・・・。


今日は
朝から雨、しばらく雨の予報が続く、
この時期の雨を「菜種梅雨」と云うらしい。
昨日は、
昨年の10月に続き「皆既月食」だった、
その月食は一応カメラに収めた。
一応とは、満足度が少なかったからで
次の機会が半年後に有るのでとその時には
もっと満足度を上げようと準備をしていた。
しかし数日前からの予報は曇り後雨・・・。
半分諦めてはいたが、午前中は雲も少なく
太陽が出ていたので、
カメラの確認の点検から始まり、
電池の充電、三脚の点検と準備OKだった。
しかし、午後から雲が出てきて夕方には
完全に曇りとなり、絶望的。
時間になっても、厚く月の影すらなかった。
これを逃すと、2年後だがこれは部分月食、
皆既となるとさらに1年後だ。
「さて、観れるかな?」





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