「丸に剣花菱」
これが我が家の家紋である。
家紋とは、武家だけが使えるものだと理解していた。
しかし調べてみると、そうでもない様で
元禄時代に庶民階級で大流行したと云う。
以下調べた結果です。
その数およそ2万点という、家紋の成り立ちは
平安時代中期頃、身印(みしるし)と呼ばれ、
高貴な人を象徴する目印として、牛車や持ち物にマークとして用いられたようで、
今日で云うと会社の社章のような物と出ていた。
平安時代、貴族の個人シンボルマークとしてスタートした紋は、
認知度が高まるにつれて家の紋章=家紋として定着していき、
権力を引き継いだ武家達も用いるようになったという。
戦国時代では、敵味方を区別する軍事的な
要素(戦意宣揚の旗印)が強かったのだろう。
シンプルで判別しやすい意匠が好まれ、
「戦勝をイメージするもの」 「めでたい縁起柄」 も好まれたという。
文様の原型は、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものから始まり、
室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化。
合戦が日常茶飯事となった戦国時代中期頃、
急速にその種類を増やし全国に普及。
戦場で功績のあった者には褒美として家紋を与えるという風習もできました。
江戸も元禄時代になると、家紋は庶民階級に大流行。
流行のリーダーはいつの時代も芸能人達であったようで、
役者や遊女が競って紋を付けたことから、町衆も好みの紋を選んで身にまとい出した。
純粋なファッション、遊びの文化として家紋が脚光を浴び、
それを専門にデザインする絵師(紋上絵師=もんうわえし)も生まれたと云う。
庶民階級にも苗字・家紋が許されるようになった明治に
家紋を定めた家は大変多いとされています。
という事は我が家も、その頃に・・・・かも。
それともご先祖がかってに・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿