民宿「ほていや」のご主人 |
昨年10月に仲間6人で中山道の妻籠宿から馬籠宿を歩いた。
一日目は十二兼駅から柿其渓谷を歩いて
民宿に泊まり二日目が南木曽から妻籠、馬籠と歩き、
温泉で疲れを癒し満足した一泊二日だった。
このコースは以前穂高からの帰りの列車で隣り合わせになった人に、
この街道の峠越えを進められていたので興味を持っていたコースだった。
民宿の名前が「ほていや」と聞き
七福神の「布袋」の字を想定していたが入り口には
「保定」の表札が掛かっていた。
建物は築150年以上でこの辺りの集落では最も古い建物だそうだ、
囲炉裏が切って有り子供さんがお客の時の対策に中はモルタルで固めてあった。
目印は大きな枝垂桜と入口前に置かれた大きな布袋さん像。
囲炉裏を取り囲みながらの
ご主人との話しで表の桜はご主人が若い頃に植えられたそうで、
撮られた写真を見せて頂きその見事さに桜の頃にまたと考えている。
夕食時呑んだお酒が美味しかったので銘柄を聞くと
「七笑い」 という地酒、
帰阪して先輩にお聞きするとご存知だった、
後日先輩が大阪でも飲める居酒屋が在ると
エッセイに書かれておられ機会があればとも、
そのときは声を掛けて頂ければと思っている次第です。
夕食後に氏子祭りの餅撒きの餅を土産にと数個づつ頂き後日美味しくいただいた。
そして茶の間にはエージシュートを達成の賞状が飾られていた72歳の時だそうで、
田圃の切り株をたたきながら腕を磨いたそうな。
「中仙道六十九次は江戸時代に栄えた
五街道の一つ中山道に設けられた、
69を数える宿場の総称」
「江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道
2路のうちの、山地側の1路である。
もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、
山手と海沿いに分かれて西進し、
近江国に入って草津宿で合流。
そこからは京までの区間を共有する。
また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、
その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。」
と解説していた。
別の解説によると67次とも。
また歌川広重によって「木曾街道六十九次」
として描かれていると解説しているが私は知らなかった。
今回の歩きの中で、
何箇所かにあった道標に
「中仙道」と「中山道」の二つが混在していた、
当時はどの字を使っていたかは定かではないが私は
「中仙道」の方が情緒が感じられ趣が有るように感じる。
交通手段が徒歩以外は
「馬」「籠」しかない時代の街道を歩き終わっての感想は、
「楽しかった」だけでは言い表せない昔日の旅人に思いを馳せた一泊二日の旅だった。
そして計画して頂いた歩こう会の事務局と一緒に歩いた仲間に感謝。
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