こんな大きな五輪塔を見たのは初めてだった。
鎌倉時代に建立され、
昭和32年に「重要文化財」に指定された、
この五輪塔は日本最大級(石塔として)と
言われているようだ。
墓だと思っていた、
五輪塔の説明の「航海記念塔」
なる文字に「?」と思った。
しかし、その説明によると
「摂津尼崎の商人が宋との貿易の帰途、
石清水八幡宮に祈って海難を逃れ、恩に報いるため寄進したことから
《航海記念塔》とも呼ばれている」とある。
≪とも呼ばれる?≫・・・。
市の重文説明書によると
「以後船乗りたちが航海の無事を祈願に訪れるようになったことから
「航海記念塔」と呼ばれるようになった。」
ここでも、≪と呼ばれるようになった?≫・・・。
呼ばれるようになったとは、どういうこと?
調べると、同じ敷地内にこれ以上墓を建てられない状態で、
数代のご先祖の遺骨を纏めて収納する目的で
「供養塔」として五輪塔を建てたのが始まりらしい。
やはり 《墓》 だった?・・・。
しかし、何故墓が神社にあるの?・・・
・・・と思い調べると、神仏混合の名残なのか、
石清水八幡宮の宮寺だったお寺の境内に建立されたもので、
寺は廃寺となって、この石塔だけが残ったらしい。
・・・そういえば、お寺にも鳥居が有ると聴いた事がある。
では五輪は、何を表しているのか、下から
「地輪」、「水輪」、「火輪」、「風輪」、「空輪」、
と呼ばれて、五大要素を表しているというが・・・。
「五輪塔の墓」、で検索すると・・・・「空海が考案した五輪塔の墓」がヒットした。
それによると、・・・・【日本で最初に考案された墓。僧空海のアイデアである。
(中略) 五輪塔の内容は密教の五大体を表すもので、
宇宙の根本である。空や風や火や水や地の象徴といわれる。
しかも、この型には基本があり、
空は宝珠の型・風は半月の型・火は三角の型・水は円の型・地は方型である。
この型式の墓は、一般には先祖の供養塔として用いられる。】
・・・・・と出ている。 やはり「墓」。
【雑学】
戦国時代の物は、火輪の傘に反りが無く(足場にされない様に)、
それ以外の物は反りがあり、建てられたその時代の世相が出ているらしい。
・・・・・以前どこかで聴いたことが有る。
「一見の価値有り」・・・是非
0 件のコメント:
コメントを投稿