2012年12月25日火曜日

履きなれた登山靴/修理と足


 トレッキングシューズと呼ばれる、山歩き専用の靴である。
日常のノルディックウォーキングに使用している靴がそろそろ・・なのだ。

所有している靴は、
ハイカットが3足、ローカットが1足合計4足を履き分けている。
ローカットは、近郊の写真撮影用に・・・。
ハイカットは、高山、低山、ウォーキングに夫々履き分けている。
履き分けたのは、靴底の張替えがきっかけである。

3回張替えた登山靴


底の張替えのわけは、底の溝がかなり無くなり、
岩を捕らえ難くなり滑りが多くなってきたので買え換える積もりだった。
広告で張替可能と知りスポーツ店に・・・。
それ以来、岩との馴染みと溝の深さが悪くなった時に張替えている。





一昨年、高山用の靴の底を3回目の張り替えに・・・。
その時にスポーツ店から、靴の先端を押しながら、
この靴は張り替えても高山には履かない方が・・・。
何故?・・靴の爪先の硬さが元に戻らないから、・・・と云われた。
何故硬さが必要・・・岩稜帯では爪先で足場を求める場合が多いから・・・
それで低山用におろす事にし、半年後に高山用を購入した。
スポーツ店によっては、標高別に並べてある店もある。

冒頭に云った様に、毎日の様に履いているウォーキング用の
溝が無くなり、砂利道での砂利の状態が足裏で
判るまでに減って来ているがもう少し使える。

その時期が来ればスニーカーにしよう。




しかし、次の張替え・・・は?有るのか
何回も張り替えて履いている事は、私の足に合い歩き易い
10年以上のよき相棒であり、戦友でもある。






・・・・・歩こう会に、上高地に、涸沢に、・・・・・
・・・・・晴れの時は勿論、雨の時も、風の時も、・・・・・
・・・・・森の中を、岩稜帯を、くさり場を、ハシゴ場を・・・・・
・・・・・ぬかるんだ道を、水の中を、雪道を・・・・・
そんな相棒の靴先の傷が何を云おうとしているか判らないが、
・・・何かを物語っている様に思う・・・。

・・・・・・だから今も歩けているのだと思う・・・・・・



2012年12月15日土曜日

散歩コース・庄下川の四季


私の散歩コース・・・庄下川の四季

・・・春は・・・
・・・桜を愛でて憩い・・・





・・・夏は・・・
・・・木陰で魚に餌をやり・・・





・・・秋は・・・
・・・往く秋を惜しみ・・・  






・・・冬は・・・
・・・水鳥を愉しみ・・・





・・・そして番外は・・・

・・・川の十字路・・・

四川合流点、川の交差点の不思議を眺め










・・・可動堰の不思議を考える・・・


通常全閉運転

通常全閉運転中は
ごみが沢山引掛かっている・・・モラルの問題か


半開運転中

定期的に可動点検?しているようだ


半開運転中

可動にする必要性は?・・・



水位調節?・・・塵除去?


・・・・・・よう判らん?・・・・・・




2012年12月10日月曜日

御堂筋



2月に入り、色々と出かけることが多くなっている。

そんなある日の午後、

予定の時間より早く自宅を出て御堂筋を梅田から

心斎橋までゆっくりと歩きながら

                銀杏の黄葉を楽しんだ。






2012年12月5日水曜日

山小屋に泊る(Ⅶ) 到着時間





久々の「山小屋に泊る」の更新です。
時間というテーマーでは、「山小屋に泊るⅡ」で小屋到着後の動きの時間だったが
今回は、到着時間の事である。

11月の中旬、この時期になると殆どの山小屋は冬の眠りについている。
そしてテレビでは、山小屋の特集放映がある。
そんな放映が11月11日にあった。
穂高岳山荘の記録で、小屋の経営を親から引き継いだ娘の話だった。
3代目の経営者で、今田恵という人物である。


テレビの画面の3代目

初代は今田重太郎(重太郎新道に名が残る)、
2代目今田英雄(妹・・紀美子平に名が残る・・の急逝で小屋を引き継ぐ)、
2代目の話によると、引き継いでから周辺の整備は毎年やってきたという。
その整備も今年でほぼ終わり、女性でも経営できるように整備してきたらしい、
それで娘に後を託したらしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その2代目が宿泊客に対して苦言というより、怒りの言葉を・・・。

≪ここに着くのが午後3時とか4時とかが当たり前なんだよ!!≫

・・・・後に続く言葉が・・・・

≪テント泊の手続きをして直ぐに出てゆけ!!≫

・・・であった。・・・



テレビの画面


これは、午後7時過ぎに到着した登山者に対してである。
登山者としての常識を外した時間の到着。
もっとも登山者にはそれなりの理由があるのだろうが、
しかし、この言葉の持つ意味は重い、登山者の身を案じての苦言であり、
同じ山を愛する仲間として、また同じ屋根の下で寝る家族としての愛だと感じる。
この愛を感じたのか定かではないが、登山者は無言で小屋を後にした。

下界では、夜中でも街明かりで明るいが、
山では月明かりだけ、周囲の状況はまったく把握不可能である、
特に樹林帯では漆黒の闇、頼りは自分のヘッドライトだけ。



そんな経験(山の遭難 ・ 「頭は青年、身体は老人」/白山/2012年6月5日付)
・・・・その時の詳細は、項を改めて・・・・

をした私だから、あえて言いたい「神風登山は止めよう」












交通事情

交通事情 先日所用で市内路線バスを利用した。 すこし早めにバス停まで行き時刻を確認してベンチに座った。 ガラ携を操作しながら、○○番の乗り場は? と高齢の男性に尋ねられた。 教えた方向に男性が歩いて行ったが、 間違っていることに気...