2012年5月25日金曜日

金環日食&ベイリービーズ


    ベイリービーズ
5月21日は金環日食だった。

朝からと言うより、

前夜から撮影の準備をした。

20日が、

歩こう会の月例会で滋賀県の蓬莱山に、

その際に仲間の1人から観測用にと

私の持っているものより

透過率の低いアーク溶接用の

保護ガラス板を頂いたので、

カメラフードを作った。


予報では曇り時々晴れ。

歩こう会の翌日はあまり天候のよくないことが多いので、

明日の天気を祈りながら床に就いた。



  金環日食 
当日、日の出の太陽は赤く丸かったが

、時間と共に雲が増えそして隠れた。

少しがっかりしながら待った。

たが、欠け始めには雲が取れ

最高のロケーションに。

金環日食はもちろん

「ベイリービーズ」と言う現象も撮れたし、

次は300年後に再度挑戦します。




その前に、6月6日の金星の太陽面通過に挑戦します。

通過時間が7時間位という事らしいのでユックリ撮影出来そうですが、

この日は上高地で新緑と高山植物に夢中になり忘れるかも。












2012年5月15日火曜日

足のトラブル


天空の散歩道・・・雲海

こ数年来、

右足の膝にトラブルを抱えながらの

生活を強いられている。

といっても、

通常の生活に支障をきたすほどでもないが、

しかし正座がまだ出来ない。

これでもかなり回復した方で、

一時は一時間ほどのウォーキングでも最後は足を引き摺るようにしていた。

今は三時間ほど歩いても痛みは殆ど感じないが、手入れは怠り無くしている。


事の起こりは、7年前の登山にある。

憧れの槍ヶ岳の頂上にアタック寸前に右膝に激痛、頭の中が真っ白になり、

同時に明日の下山の事が・・・。しかし痛みも治まり槍ヶ岳の頂上に・・・。

それ以来の長い付き合いと戦いが始まった。

膝の痛いのは歩いて治せと先輩から教わり、

サポーターのお世話になりながらせっせと歩き、

風呂では膝を揉み、靴のインナーに工夫をしての歩きで痛みが和らぎ、

ほっとしていたが一昨年の秋涸沢からの帰りの下りで膝の裏側が痛くなり、

のかばい足で反対の左足に豆が出来散々の態で帰阪した。

その後階段歩き等で鍛え、

少しよくなったものの月一回の歩こう会も4ヶ月も休まなければならず、

テレビで覚えた爪先立ち、膝上げ、スクワットをして何とか歩こう会に復帰したが、

やはり下りの歩きは不安がいっぱい。

昨年登山靴を新調した折にその事を店員に話しすると、

スクワットが有効ですよといわれた。

今までのやり方に間違いないとの確信を持ったが、

しかしこれ以上の回数を増やしても思いながら続けていた。

あるとき、テレビの健康番組でのスクワットのやりかたの説明で

曲げた膝が足のつま先より前に出ると効果が薄いといっている。

私も膝が出ている。回数より質の問題だった様だ。

それ以来膝の位置に気をつけながらのスクワットを続ける事1週間。

二時間の歩行でも見事に痛み激減した、

今では三時間でも痛みは無い、しかし右と左では疲れが違う。

「バンザ~イ」である。

しかし完治はしないだろうから、永く、上手く付き合っていくしかないと思う。

歩き終わってからの手入れは欠かせないだろう。

正座が出来るまで、「上手になが~く」を身上に「頑張らずに頑張り」ます。








2012年5月5日土曜日

先輩と私の感性 沿線酒場&空蝉が飛んだ



  空蝉 
先輩からエッセイをよく送って

いただき楽しく読ませて頂いている。

あまりお礼の返事も出さないが、

何時も有り難く拝読している。

共感できるところ

そうでも無いところもあるが、

先般頂いた「沿線酒場」と「空蝉が飛んだ」は先輩の

「人となり」が良く出ていると感じながら読まして頂いた。

「沿線酒場」は鉄道会社が発刊している冊子で、

駅近の居酒屋を紹介した物だそうで、

先輩は中の記事より巻頭&巻末の著者の言葉への反応が有りそこが又面白い、

というより著者への共感とも言うべきかも知れないが私には無い感性がある。

「雑感・858 沿線酒場」の文末で

 鉄道と駅と酒場が何故、酒飲みの心をくすぐるのか。

日々、家庭と職場を往復する者が特に帰路、

自分をスィッチ出来る場所のような気がする。」・・・と結んでおられる。


日々のストレスを家庭に持ち込まぬ様にスイッチを切換えておられたのでしょう。

また酒屋さんの営むいわゆる立ち飲み屋さんにもスイッチを持っておられ、

私も何回かご一緒させて頂いた事が有る。


先輩の時間はゆったり流れている様で、

昭和の時間をお持ちの雰囲気が出ている。

出かけても来た電車に乗れればよしという「慌てず騒がず」と言ったところかも。


「雑感・863 空蝉が飛んだ」では・・・

 ≪昨年8月頃から家のブロック塀にしがみついていた蝉の抜け殻が旅に出た≫

・≪人間は自分の時期を知らなければならないとも思う。≫

≪あの空蝉も時期を知り遠くへ飛んでいったに違いない。≫・・・・と表現されておられる。

あの空蝉とは・・・「雑感・845 蝉の抜け殻」で

 ≪玄関の扉を開けるとブロック塀の隅にくっつく抜け殻が小さく見える。 

近づいてながめると細い足でしっかり塀にしがみついているように見え、

その懸命さに微笑んでしまうときもある。

強い雨風の時などは落ちていないか、飛ばされていないかなど心配になる。 

生き物ではないから心配する必要などないのに。

・今月いっぱいもつと半年無事だったことになる。小さな観察だけれど、

人生に置き換えながらいろいろ考えさせられる。

それは残る時間、

つまり余生のあゆみ方のことでもある。もっとしがみついていておくれ。≫・・・

と表現されていたあの空蝉の事である。


その空蝉に武士(もののふ)の哀れさを感じておれるようです。

一方、私も酒は好きだが一人で立ち飲みの店には行かないというより、

行けないのである仲間がいると入れるが・・・。

(一人だと間が持たないのだ)

だが、この立ち飲み屋の雰囲気は好きである。


この立ち飲み屋で思い出したことがある、

中学生の頃近所の酒屋さんでアルバイトをしていた時の思い出、

この店も立ち飲みがあり、店の人が忙しい時は酒を注ぐ事もしていた。

ある時酒を注いで渡すと「少ない・こぼれるまで注いで」と云われた事がある。

その時は「意地汚いな~」と思っていたが、

自分が酒飲みに成ってこの酒飲みの性がすごく理解できる。

コップの下の皿はそのためのものだと後で教えて貰った。

数年前に、

愛読されていた「あまから手帳」21冊を譲っていただき時々開いて愉しんでいる。

この本は、整理される際に捨てるのは忍びない・・・誰かにと考え小生の顔が浮かんだと・・・

どうも私に自分と同じ様な雰囲気を感じられたのかなと、勝手に思っている。


空蝉では・・・私自身このブログ(今年825日「空蝉」)で

 ≪樹にしがみついている蝉の抜け殻を見掛けて夏も終わり

数ヶ月経っているのにまだしがみついている強かさを感じた。

これでないと七年間の地中での生活は出来ないだろう。≫

・・・と表現した。                                                         

同じ空蝉を観て、先輩は、武士の哀れさを、私は、武士の強かさを・・・・。

そして、空蝉に関してお礼のメールに私は

 「この空蝉は、後輩に席を譲ったのではないでしょうか」と

返信は「後輩に席を譲るとは、いい表現ですね」・・・・と返ってきた。

これが、お互いの感性なのでしょうか。







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