2012年8月25日土曜日

飛行神社 ・ ライト兄弟より先に


  零戦のエンジン


京都府八幡市にある
「飛行神社」の名前を最初に知ったのは、
随分前のことだが、「飛行機神社」
と記憶していた。
この神社は、
ゼロ戦のエンジンが展示されている
事でも有名らしい。
先般友人と参拝した、
友人いわく泉佐野市にも飛行神社があるよと・・・
調べてみると「航空神社」とあった。
この名の神社は、東京羽田、大阪泉佐野、他、と数箇所に有ると言う。
この聞きなれない神社はどんな神社かと調べてみた。
飛行場の開設と関係が有りそうなので、全国の飛行場の中にもっと有りそうですね。
何れも、航空関係者の安全を祈願しているようであるが、泉佐野の航空神社は交野市にある磐船神社から分柱して御祭しているようです。(飛行神社も同じ)


飛行神社で検索すると、「二宮飛行神社」・「飛行神社」の二つがヒットした。
「二宮飛行神社」・・・「二宮忠八」の功績を称えて出身地の有志で愛媛県八幡浜市に建立。




「飛行神社」・・・二宮忠八本人が、事故犠牲者の
 ジュラルミン製の鳥居
慰霊が飛行機開発に携わった者としての
責任だと感じ、
私財を投じて犠牲者の霊を祀る神社
1915年(大正4年)に創建した。

「二宮忠八」氏とはどんな人なのか、
調べると。
1866年(慶応2年)現在の
愛媛県八幡浜市生まれ、
1936年(昭和11年)没。
陸軍従軍中に、カラスの滑空を見て羽ばたかなくても飛べるの?・・・と飛行原理を発見し
翼幅45cm、全長35cm、ゴム動力の「模型飛行器」(飛行機にあらず)を10m飛行させて、
翌日には約36mを飛行させ日本初のプロペラ飛行実験を成功させた。 
これはライト兄弟よりも先だったらしい。

その後、軍に上申するも、戦時中(日清戦争)であるとの理由で却下された。
退役後、大日本製薬株式会社に入社、
業績を挙げて支社長にまで昇進し、
資金目処が立ち開発するもライト兄弟に先を越されて
飛行器の開発を取りやめ、製薬の仕事に打ち込む。
二宮忠八の死から18年後に英国王立航空協会は自国の展示場へ
二宮忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、
彼のことを  「ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人物」 
 と紹介されている様です。

飛行機開発から離れた二宮忠八は、
飛行機発明以来、航空事故が多発するようになったことに心を痛め、
事故犠牲者の慰霊が飛行機開発に携わった者としての責任だと感じ、
私財を投じて犠牲者の霊を祀る飛行神社を1915年(大正4年)に自邸内に創建した。

現在の社殿は1989年(平成元年)に飛行原理発見百周年を記念して、
二宮忠八の次男二宮顕次郎氏によって再建されたもので、
拝殿にはトビウオのステンドグラスが飾られ、ジュラルミン製の鳥居が建っている。
境内には、「F104戦闘機」のジェットエンジンと
大阪府岸和田市の漁師の網に掛かったといわれる
「零式戦闘機」のエンジンが展示されている。


2012年8月15日水曜日

70男古希の挑戦 その1槍ヶ岳



以前から私は、夢 (願望) として、
≪70歳で3000m級の山(複数座)の天辺に立つ事(出来たらいいな~)≫
と公言してきた。

その70回目の誕生日を今年春に迎え、具体的な計画を立て始めた。
その一座である【槍ヶ岳】の天辺に立つ事が出来た。
以下はその顛末記。


槍ヶ岳




上高地のバスターミナルに着いたのが7月29日の15時過ぎ。

遭難者の慰霊塔におまいりして、入山届け、山岳保険の手続き。
夕方、明神の嘉門次小屋に到着。
夕食後の談話で130kmの縦走を終えた人の話、くさり場からの滑落事故を目撃通報したとの事。
慎重な行動をしなければと、改めて身を引き締める。

2日目は、ユックリとした行程で昼過ぎには、槍沢ロッジに到着。

3日目、7月31日、ロッジを計画より1時間早い6時に出発。
いよいよ槍の天辺を目指して本格的な山歩き。
雲ひとつ無い空、いわゆる「ぴーかん」。
ここから槍の天辺まで、ひたすら登りだけのコース。
天狗原分岐(下の)までは、計画より1時間速く到着、天狗池から来た登山者に天狗池の状態を聞く。
池に水があり【逆さ槍】も見られたとの情報、帰路は天狗原経由に決めた。
しかし、ここからが大変だった。

坊主岩小屋に着いたのが、計画より40分遅れ。 1時間40分も多く掛かっている。
山荘はかなり下から見えてはいるのだが、ここで、初めて槍の穂先が視界に入ってきた。
登山道はここから、一層急登になる。
足がなかなか進まない、槍の雄姿が前に後ろに・・・。
ジグザグの道を牛歩、否カタツムリの如く。
約2時間かかり、13時45分槍ヶ岳山荘に・・・計画より1時間20分遅れ。

部屋にザックを下ろしカメラを持って、テラスに出る。
穂先への登りは渋滞している。
暫く休憩してから・・・と、まずは喉を潤さなければ脳が承知しそうも無い。
こんな高いところでの生ビールは最高の味。
家人に【槍の肩】まで到着した事を報告・・・稜線は携帯が繋がる。
明日でもと思っていたが、空いてきたので・・・。
  
槍ヶ岳 頂上の祠

7月31日15時25分標高3180mの≪槍ヶ岳の天辺≫に立った・・・。
否、立てた・・・この気持ち・・・。
感動している・・・この震えは寒さだけではなさそうだ。

そして前回(6年前)は見られなかった富士山がくっきりと。

夕食後に、夕日と茜に染まる空を楽しむ。
月が明るすぎる・・・星空はあきらめ、20時前には布団の中。
朝までぐっすり、満足と興奮と疲れで爆睡した。



ご来光
4日目の8月1日、3時30分に目を覚まし外に出た。
下界では考えられない時間に、東の空はもう茜くなりはじめている。
ご来光を見ようと、登って行く人のランプの光がちらちらと・・・。
いそいでカメラを取りに・・・他の人はまだ寝ている。

半袖のTシャツの上に長袖のシャツを羽織ったがそれでも少し寒い。
テント場の最前列の岩場に陣取る。
今回も三脚を持って来なかったので、岩に特製枕を置きカメラを固定する。
前回はガスが掛かり写せなかったご来光、その瞬間を待つ。
周りには大勢の人がカメラを持って・・・・。

朝食を済ませ、弁当を受け取り6時30分に出発。
今日は、3000mの稜線漫歩としゃれ込んだ。
しかしアップダウンはきついし、ハプニングも・・・。
ご来光を写したテント場を抜け大喰岳(おおばみだけ)へむかう。
飛騨乘越(ひだのっこし)まで急な下り、笠ヶ岳が朝陽に輝いている。

ハプニングその① カメラ
笠ヶ岳をパチリ・・・保存中にOFF・・・慌てて、ONに・・・。
保存中の表示が消えない、何度繰り返しても消えない。
もちろんシャッターも下りない。
飛騨乘越まで降りて、カードを変えても同じ、ONにしたまま大喰岳まで・・・。
高低差約100mの急登を50分かけて頂きに。
しかし状態は同じ、保存中の表示。
再度カードを換え、ON,OFFを繰り返すも同じ。
カメラが使えないとは、情けない。
最後の手段と思い、バッテリーを一旦抜き再度入れる。
治った~・・・・よかった~。
カードも無傷、これでまた楽しめる。

この大喰岳の標高が3101m、これで目標の複数座を達成した事になるのだが。
後刻、この稜線で出遭った方々に、頂上までは・・・と尋ねすると。
中岳?(南岳?)という事なら・・・あと少しです。
という答え・・・という事はこの稜線の山に名前は付いているが、単なるピーク・・・?
では、私もこの稜線の3座を含めて、槍ヶ岳と考えよう・・・・。
大喰岳、面白い名前が納得できた出来事があった。
私が着いた時に、若い男性が1人、私の後から、男女の2人連れ。
この2人が、男性にシャッターを頼んだ。
手を繋ぎお互いに弓なりになって、2人の間に槍ヶ岳を入れるという構図。
男性:ユニークな撮り方ですね。  女性:山を食べた事も・・・。

この一言で、男性は槍ヶ岳を食べる事を考えたらしく。
口を開けるので、槍ヶ岳を食べている様にと、依頼された。
大喰岳の道標と槍ヶ岳と男性の大口、本当に槍ヶ岳が食べられている。
槍ヶ岳を喰らっている様に見える事から、この名前が付いたのかな・・・。
 

雷鳥

そして2つ目のピーク中岳に向かう、ここからは稜線漫歩の愉しい歩き。
足元の斜面には、まだ雪が残っている、その向こうに富士山が雲海に囲まれている。

ハプニングその② 雷鳥

歩くこと約30分、雪渓に鳥が居る、岩雲雀?と思いレンズを向けるも、
動きが早くてアップで撮れないので早々に諦めカメラをしまい、歩き出す。
5,6分歩いて足元を確認しようと目を落とすと、何か黒いものが・・・・。
雷鳥の雛、その先を追うと親鳥が居る。
急いでザックを下ろし、カメラを取り出した、焦りと太陽光でモニターが見づらい。
何とか撮影できた、しかも白い雪田をバックに黒い夏毛の親鳥が・・・・
出遭えるとは思っていなかった雷鳥、撮影まで出来た。

富士山もくっきり・・中岳付近から




中岳の頂上に着くと、槍ヶ岳と高さを競うように沢山のケルンがあった。

私も小石を1つ加えて、その記念とした。
そして長い岩場の下りの底には、水場。
喉を潤す。
南岳までの長いダラダラした登りに備えて休憩し、家人への連絡。

ハプニング③ 携帯電話

そのダラダラした登りを歩行中、足元にケースごと携帯電話が落ちた。
原因はケースの糸が切れてバンドから外れたのだ。
これが岩場とか、傾斜のきつい所だったらと思うと・・・。
とにかく回収可能な所でよかった。

天狗原分岐(上の)を確認して、南岳の頂上に・・・。
今回の稜線漫歩で唯一三角点のあるピーク。
笠ヶ岳の姿が美しい、だが今の光ではと撮影はスルー。
明日の日の出時の撮影ポイントを確認して、小屋へ。
12時前に南岳小屋に到着しザックを置き、
槍ヶ岳山荘の弁当を・・・外で食べようと思ったが、
日陰が無く止む無く、小屋の中で・・・もちろんビールも、ここは生が無かった。

昼食後に、大キレットを展望できる獅子鼻展望台へ。
聴きしに勝ると言いたいが、細い峰歩きの状態である。
しかしその先には、飛騨泣き、石の墓場と言われる滝谷がある。
とても無理、やはり天狗原経由が無難なコース。
5日目の8月2日、朝4時15分に小屋を出る。
朝食は弁当で、天狗原で逆さ槍を見ながら食べるつもりである。
昨日、今日の昼食も申し込んだのだが、衛生上の関係で断られた。
南岳で、カメラをセットしながら、ご夫婦と話をしていると雷鳥がやって来た、
もちろんシャッターを切ったが失敗した。
 

槍・朝景







槍ヶ岳方面にレンズを向けると、この奥様がシルエットに・・

ご主人にお願いして奥様の隣に立って頂いた。  いい写真が写せた。

ご来光を写し、天狗原分岐(上の)から天狗原へ下る。
しかしこの下りは長く難しかった。
ハシゴと鎖場があるのは、地図上で確認はしてあったが、こんなに長いとは・・・。
抜けるまでに1時間以上掛かっている。
さらに天狗池まで20分、 逆さ槍が・・・。

 
槍・朝景



ここで朝食、先日天辺に立った、槍ヶ岳の雄大さと、見事な逆さ槍を・・・
朝食のおかずに、今回の山旅の中で最高の場所での食事。
逆さ槍を写し終えて、天狗原分岐(下の)経て槍沢ロッジに着いたのが、
10時50分、計画より約1時間早い、夕方までに明神まで歩けそうなので、
嘉門次小屋に連絡しOKを貰い30分の休憩で歩き始めたが、
足が重たく思うような歩きが出来ない。
17時前に、ようやく嘉門次小屋に到着、このときの風呂は最高の癒し。
そして、祝いに岩魚の塩焼きを1尾追加。

6日目の、8月3日明神池に撮影に・・・。
2日目の7月30日は、ガスが多くて絵にならなかったが、
今日は適度にガスっていて、最高の絵になった。

余裕を持って、帰阪の途に付いた。

これで2座目の穂高に向けて、自信が出来、また準備が出来る。



2012年8月5日日曜日

ノルディックウォーキングと周囲の反応



 京都府八幡市男山





痛めている膝のリハビリを兼、

中断していたノルディックウォーキングを

2月から再開している。

中断する前は、

気恥ずかしさが先に立ち

周囲の反応を見る余裕はなかった。

再開後は、周りの反応を観察する余裕が出てきた。

イヤホンでラジオを聴きながらの所為も有るのか、

周囲の目を気にしなくなった。
 
今使っているポールは、

登山用の物で、ひじへの衝撃緩和にスプリングが入っている、

その金属音がして、歩く時に一定のリズムを刻んでくれる。 

専用の物なら音はしないのかな。

その音が周囲の反応につながっているみたいだ。


人の反応・・・・。

前を歩く人・・・少し立ち止まって振り返る。

前から来る人は・・・凝視する。

通勤中の人は・・・凝視&無視して通り過ぎる。

                   ・・・そして、例外なく「けったいな人!!・・・」と言う表情。

しかし、見慣れてくると全員が「無視」

興味のある人は・・・「歩き易いですか」 とか

「ダイエットに良いらしいですね」 とか 「いくらぐらいするの」 

とポールの値段を尋ねる人

・・・・究極は 「足が悪いのですか」 には苦笑するしかなかった。


犬の反応・・・・。

小型犬・・・音に怯えて飼い主の足元に隠れる ⇒ 

近づくと吼える・・・弱い奴は直ぐ吼える?

中、大型犬・・・無視


猫の反応・・・。

    野良の場合・・・無視と「変なやつ」と少し軽蔑の眼

    飼い猫の場合・・・怯えて逃げる。


効用・・・・。

①歩くスピードが早くなった

②膝の負担が軽くなった

      ③ダイエット・・・「?」。 

以前との減量比較で「微-」の為やはり「?」。 

ポールの石突の保護ゴムが磨り減り、

溝が消えて丸くなってしまっている。

まだ暫くは使えそうだが予備を用意しておこう。







交通事情

交通事情 先日所用で市内路線バスを利用した。 すこし早めにバス停まで行き時刻を確認してベンチに座った。 ガラ携を操作しながら、○○番の乗り場は? と高齢の男性に尋ねられた。 教えた方向に男性が歩いて行ったが、 間違っていることに気...