2013年5月25日土曜日

酔眼と酔脳と街灯の光



F社のOB会での月例茶話会に出席しているが、私を含めて一部の人は茶話会で終わった事がない。
「さ」が一つ増えて酒話(ささわ)会になるのが常で、いつも同じ店と顔ぶれである。

一緒に仕事した人もいれば、そうでない人も・・・。
趣味の話、健康の話、酒の話、等等である。
呑んで歌って駄弁って・・・・帰宅することになるのだが・・・。



自宅近くになり街灯だけの帰路で、街灯の光がすじ状に見える。
メガネが汚れているとこんな風に見えるのかと思っていた。
メガネを拭かねばと考えるが、そこは酔眼と酔脳である。
すぐ忘れてしまい、したがっていつも不思議に感じながらまた同じことを考えている。

ある時に、メガネは汚れていてもカメラのレンズまでは・・・。
と考え携帯しているカメラを取り出し覗いた。

よく解らない、アップにした、筋が見えた、きれい!!
シャッターを押した。

そこでまた酔脳で考える・・・本当こんな風に見えてるの?
いつか酔脳で無く「い」が抜けた素脳状態でみたいが、
そんな状態が訪れるのかな・・・・。





2013年5月15日水曜日

山滴る


先の化粧柳で「山笑う」と表現したが、そのほかに山の表現があるのか調べると
「臥遊録」という書物の中に出て来るらしい。

このなかに、山の姿を詠んだ詩があると云い、それぞれ季語として使われているという。

曰く・・・・・

「山笑う」/春・・・・・・淡冶而如  (しゅんざん、たんやとして、わらうがごとし) 

春の山はあっさりとして人の()()()ような

「ゑめる」は、花が咲く、実が熟して割れるという意味の古語





山笑う








「山滴る(したたる)」「山茂る」/夏・・・・蒼翠而  
(かざん、そうすいとして、したたるがごとし)

夏の山は青々として潤うような





山滴る









「山装う」「山飾る」/秋・・・・明淨而  (しゅうざん、めいじようにして、よそうがごとし)

秋の山はさっぱりとして飾りたるような






山装う











「山眠る」/冬・・・・・・慘淡而如   (とうざん、さんたんとして、ねむるがごとし)
冬の山は物寂しゅうて静まった心なり





山眠る







私が知っていたのは、春の「山笑う」と秋の「山装う」だけだった。
この4枚の写真で、そんな情景が出せているのかな?・・・。



そして今日はそんな状態の屋久島の森の中に身をおいている。



2013年5月5日日曜日

化粧柳




穂高と化粧
桜も散り葉桜となって、新緑が美しい季節となってくると何だかうきうきしてくる。

「山笑う」の季節になるからだ。

ここ数年新緑と高山植物の撮影に上高地に友人と出かけている、今年は避暑を兼ねて夏に予定をしている。
出掛けられる有難さに感謝している。





上高地の春といえば、新緑の緑と残雪の白が梓川の流れに映えて美しい、
特に化粧柳の新緑が何とも言えない景観を醸し出している。

化粧柳と聞き女性のお化粧と何か関係があるのかと思っていたが
説明によると、

・・・・・「若木の木肌は白樺のように白く、小枝は晩秋から
                         春にかけて紅くお化粧をしたように見える」・・・・・

とある、直接関係はなかった。



この化粧柳の自生分布は、日本では北海道日高とこの
上高地梓川だけの貴重なものらしい。

春先には柳の絮(わた)と書き柳絮(りゅうじょ)と呼ばれる
綿毛が飛び交い春の風物詩となっているという。・・・テレビでの知識・・・
この現象を上高地では経験していないが、春先の淀川で見かけた事がある、
初めて目にした時は犬の毛繕い(飼い主の)だと思った。
河川敷の柳の木付近からで、その付近には犬はいなかったので、柳の綿毛だと気付いた。
勿論化粧柳ではない、枝垂れでもない、木肌から柳と解ったが名前はわからない。
  
この化粧柳は枝垂れではないのを不思議に思っていた。
以前上高地で中学生の一団に引率の先生が説明していたのを
聞いていると、正式には「裏白化粧柳」と云うらしい。  
また、柳には数種類があり全てが枝垂れではないという。
一団が去ってから、確かめると葉の裏は白かった。
勉強しました・・・ありがとうございました・・・




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