9月2日の日曜日に義父の13回忌の法要が京都のお寺であった。
このお寺は以前勤めていた会社と因縁話がある。
義母の見送りの折、樒の社名をみて、
ご住職が「これは、どなたの?・・・」と、・・・・。
何故と思いながら、お聞きするとお兄様が京都大学におられ
蛋白の話をよく聞いておられると言う、
なんとこのご住職は京大の○○先生の弟さんだった。
それは兎も角、
この末慶寺の門前に、畠山勇子の墓所との石碑がある事は、以前から知っていたが、
もう1つ興味が薄かったし、畠山勇子なる人物を知らないのでそのままに・・・。
今回法事と言う事で、【京都、末慶寺】で検索すると、歴史的なお寺である事が判った。
1891年5月訪日中のロシア皇太子を警衛中の警察官が切り付けたという大津事件で、
日本政府、明治天皇の立場を慮り、自らの死によりロシアに詫びたという。
自死後、京都に身寄りも引き取り手も無い畠山勇子の遺骨を住職が境内に葬ったとある。
ラフカディオ・ハーンが畠山勇子の墓にお参りに着て、
遺品等を見ていったと言う。
勇子については、
『東の国から』・『仏の畠の落穂集』に記していると・・・。
本堂の欄間に掛かっている、
末慶寺と書かれた額の文字は「二品親王書」とある。
二品親王とは・・・
名前ではなく親王の地位だそうで、これを書いた個人の特定は出来そうも無い。
いずれにしても、こんな歴史の中に家人の両親が・・・・合唱。
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