屋久島に在る杉はすべてが屋久杉だと思っていたが、そうでは無いことが今回の訪問で知った。
それは後述するとして、前回は登山口からウィルソン株まで、
今回はそれから大王杉を経て、夫婦杉を眺め小一時間ほど歩くと縄文杉に遭える。
しかしここまでの歩きに結構体力を使っているので、大王杉と
夫婦杉は殆んどスルーに近い状態で先に進んだ。
その大王杉は、標高1190m、樹高
24.7m
周囲 11.1m 、推定樹齢 3000年
下部には割れ目があり、中はすっかり空洞になっている。
縄文杉の発見までは最大の屋久杉といわていたらしい。
そして、屋久島のシンボル的存在である縄文杉である。
標高1280m、樹高15.3m、周囲16.4m、
推定樹齢2140~7200年。
現在確認されている屋久杉の中で最大といわれる
この縄文杉の名前の由来は、
≪縄文時代から生きている≫という意味と、瘤だらけで
≪樹形が縄文土器に似ている≫からの2説があるらしい。
やっと会えた屋久島の主、
しかし保護のためと称して近付く事が出来ない、
しかし保護のためと称して近付く事が出来ない、
しかも一番見栄えのいい位置には
枝の落下の可能性が有るので立ち入り禁止になっていた。
枝の落下の可能性が有るので立ち入り禁止になっていた。
太古の昔からここでず~と生き続けているその姿は、何か神にも似ていて神々しかった。
この縄文杉を含めて、今回会えた屋久杉にはウィルソン株を除いて《しめ縄》も《祠》も無かった。
信仰の対象になっていないらしい、なぜその対象になっていないのか?
その答えは、翌日のバスガイドさんの説明がヒントになる様だ。
翌日は、ヤクスギランドから紀元杉の観光へとバスで巡った。
ヤクスギランドには森の中に遊歩道が有り、周遊しながら屋久杉の生態を観察でき様になっていた。
最後に出逢ったのが紀元杉、縄文杉と違って真下まで行けて手で触れる事が出来た。
私には、縄文杉より迫力を感じたし太古の息吹?に触れた思いだった。
紀元杉・・・標高1230m、樹高19.5m 、周囲8.1m 、推定樹齢3000年
しかし、なぜ何千年も生きてこられたのか、ガイドさんの説明によれば、
木の表面がでこぼこしていて建築材としての
価値が低くて伐採の対象になら無かった事と、屋久島の劣悪な環境で
育ちが遅く材質が硬い事が現代まで生き延びた要因だそうだ。
その醜い姿から信仰の対象にならなかったのかも。
ガイドさんの説明で初めて知ったのだが、屋久杉と呼ばれるには、
樹齢1000年以上でないとそう呼ばないそうで、それ以外は小杉と称するという。
それも、自然杉だけで、人間が植えたものは地杉と称して区別しているとの事だった。
もう一つ、樹齢が推定となっているのは、木本体に傷を付けられない事と
切り株は、空洞のため年輪が数えられないからと説明を受けた。
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