2013年7月25日木曜日

小屋番の叫び




毎年春先から晩夏にかけては山の情報を貰う為に
山小屋のHPを頻繁に覗いてチェックしそれを、
秋紅葉の時期・色・等の判断材料にしている。
通年営業している小屋もあるが、殆んどの小屋は冬の営業はしていない。
ただ冬季には避難小屋は使用できるようだ。

年が明けて開山が近くなれば、小屋明けの準備が始まる。
その前に、雪の中から小屋を掘り出すと云う大変な作業が有るらしい。
営業が始まっても、極寒に近い春山では登山客も少ないので
のんびりしているのかと思ったがそうでもなさそうで・・・・。
営業しながらの掃除から始まって整備、修理、改築、と結構大変らしい。
もっと大変で、登山者にとっては有難い登山道の整備が有る。
残雪期の雪渓のステップ切り、雪解けが進むと踏み抜き防止の穴埋め。
夏道が出て来ると、橋の修理から登山道の整備と大変らしい。

・・・・・一年を通じると・・・・・
小屋明けの準備に入りました/山のお花が咲き始めました
夏道の通行が可能になりました/混雑状況
秋が近づいています/初霜だより/紅葉・黄葉の状況
初冠雪/今年のお泊りは11月○日までです
今シーズンも有難うございました・来年は4月○日からの予定です
・・・と、一年を終える・・・

そんな合間に、山小屋スタッフの“叫び”がある。
その“叫び”を以下に紹介しよう。(穂高岳山荘&岳沢小屋ブログより)




涸沢カール

・・・山の状況・・・/春と冬(一部)
昨日は入山以来の穏やかな晴天。
気温もぐんぐん上がって除雪も一気に進んだ。ところが今日は一転して風雪となった
明日、明後日と山へ入られる予定の方も多いと思いますがくれぐれもご注意下さい。
特に明日、沢筋に入るのはヤバいです。この時期はほんとうに「春」と「冬」とが交錯する。(後略)

・・・レスキュー①・・・/たのむ(全文)
除雪をしていたら奥穂の雪壁から叫び声とともに人が落ちてきた。
見るからに重傷だがそれでも確かにまだ息のある要救助者を、
山荘のみんながそれぞれの立場で力を尽くしヘリ収容した。
誰も言葉にはしなかったけれど「たのむなんとか助かってくれ」と
心の中で祈りながらことにあたっていたと思う。  夕刻、岐阜県警を通じて一報が入った。
まだ集中治療室に入っていて予断はゆるさないけれど、なんとか一命は取り留めたと。
よかった  ほんとうによかった と少しだけ安堵。重苦しかった仲間たちの表情もちょっと明るくなった。
それにしても、  レスキュー対応の真っ只中に、 「事故があったと聞きましたがその人は

生きているんですか? 死んだんですか?」と電話をかけてきた某テレビ局、
あまりの腹立たしさに「そんなもんっ! しらんわい!!」と思わず電話を叩ききってしまったが、
少なくとも我々は現場で全力を尽くしてその人を救おうとしている。
その相手に、そんなこと聞いてくるなよなと思う。

・・・登山者①・・・/夏山点描(全文)
北穂南稜のクサリ場で行き会った、とある高齢のご夫婦
「ほらっ、そんなに岩にへばりつかないで、 しっかり足下見て。」とアドバイスする旦那さん、
すると奥さまがクサリにぶら下がりながら猛烈ないきおいで言い返す。
「そんなこと言ったって、荷物が重いのっ!  ワタシばっかしに背負わしてからっ!!」
(旦那さんの荷物は奥さんの倍はあるように見えたけれど
そんな剣呑な感じのするご夫婦ではあったものの、
最高の青空の下、大パノラマの広がる北穂山頂では仲良く満面の笑みで記念写真に収まっていた。
(シャッターを頼まれたもので気合いを入れて押させていただきました)
きっと今まで、人生の坂道をそうして二人で登ってこられたのだろうなぁと、
なにか微笑ましいような思いになって、一瞬グッときた。

・・・登山者②&登山道・・・/吊り尾根(全文)
先週、岳沢から穂高岳山荘へとむかった60代の男性(単独)がいた。
アイゼン・ピッケルなし、まともなカッパなし、ヘッドランプもなし
結局夕闇せまる午後7時頃に長野県警を通じての救助要請となり、
奥穂山頂付近で山荘スタッフが収容した。
今時期の吊尾根は急峻な雪渓のトラバースが数カ所あって、
アイゼンなしでの通過はちょっと考えられない。
「その装備でよくここまで来られましたねぇ」となかば呆れ顔でスタッフが問うと、
「いやぁ〜、なんとかコレ(コウモリ傘)があったンで  

コレが無かったらムリでしたわ!」と、そのおじサン。
おいおい、そらぁアカンやろ
で昨日、まだ時期としてはちょっと早いのだが、連休も迫ってきたことであるので、
通年行事のような作業である吊尾根の雪渓の「道切り」に行ってきた。
紀美子平の奥穂側に2カ所、それぞれ20m25mほどの雪渓が残っているところに道を切る。
固くしまった雪渓はスコップだけではなかなか手強く、チェーンソーまで持ち込んでの作業である。
これで一応アイゼンがなくても通過は可能。
でも、重太郎新道にはまだ雪があるようだし涸沢周辺もまだまだ残雪が多い。
ザイテングラードのルートも「道切り」を済ませてはあるが、

下部ではかなりの距離を雪渓を歩かねばならない。
今週末の連休では軽アイゼンていどは持たれたほうがよいです。
それと、くれぐれも傘を使った雪渓トラバースは止めましょう。  キケンが危ないです。

・・・レスキュー②・・・/夜間救助(全文)
ニュースで喧しく報じられているように、また山で悲劇がおこってしまった。
北アルプスでの遭難死亡者が8名となる惨事。うち1名は穂高・涸沢岳でのものであるが、
その涸沢岳の一件では死亡者が6名となっていてもおかしくはなかった。
昨夜、涸沢岳で行ったレスキューの詳細をここに記すことはしないけれど、
一般の報道ではうかがい知れない壮絶な行いであった。

遭難場所が涸沢槍という難所であるのに加えて天候は吹雪、しかも夜、
稜線では気温-3℃で風速は20メートル以上、体感気温は-25℃にもなる。
諸状況を考えれば1名の遭難者を救うのでさえ困難かと思えるシチュエーション。
それが6名も正直なところ現場へ赴きつつも、仲間たちのことを考えれば、
どこで線を引いて撤退するべきかを考えていたのが偽らざる心境であった。
だがそんな懸念なぞ関係なしに、いつしか関係者全てでの総力戦のレスキューとなっていった。

県警山岳警備隊、穂高岳山荘スタッフ、居合わせたドクターと看護士の方たち
そのひとりひとりが、救助要請の第一報が入った午後7時頃から最後の要救助者を収容した午後11時過ぎ、
そして蘇生措置を行った深夜まで、それぞれのポジションやスキルのなかでの精一杯の戦いを繰り広げた。
力を尽くしたにも関わらず、結果としては残念ながらひとりの方が命を落とされてしまった。
その方を背負ってきた若い救助隊員は悔しさでぼろぼろと泣いていたが、
僕はむしろ、あの状況下で6名すべてを山荘へ収容できたことが奇跡的だとも感じた。

収容後の措置で蘇生した方も数名いて、
外での救助活動に加えて、山荘内でのあの懸命な処置がなければ犠牲者の数はもっと増えていたと思う。
躊躇なしに自分たちの防寒衣類を与え、湯をわかし、部屋を暖め、処置に奔走する。
それも寝静まった一般の宿泊客の方々へ迷惑をかけることなしにである。
僕は過酷な現場でヘロヘロになってはいたけれど、
そんな仲間たちの頼もしくかつ素晴らしい行いに、改めて穂高岳山荘というものに感動した。
穂高で小屋番として身をおく以上、こうしたレスキュー現場にたずさわることは結構ある。
今回はそんな経験のなかでもかなり過酷なものであったことは間違いない。

我々は漫画「岳」の三歩クンのようなスーパーマンでは決してない。
「できることはできるけど、できないことはできない」が信条の生身の人間だ。
でも僕たちにはそんないたらない自分をフォローしてくれる頼もしい仲間が大勢いる。
だから、三歩クンの口癖であるあの言葉を、今回は(自分を含めた)仲間たちへこそ捧げたい。
みんな、「よくがんばった!」・・・・
(翌日も別の遭難が有り同じ夜間救助だったそうだ)

・・・登山者③・・・8週連続(一部)
(前略)まあ、昨日などはアイゼンもピッケルも持たないバックパッカースタイルのスウェーデン人女性が
「立山まで行きたい!」とか、一目見れば素人と分かる韓国人女性が前穂を目指し、
ルートも知らないのにそこらじゅうを右往左往して、あげくにはおかしな急斜面に迷い込んでしまう始末。
見るからに危ないので、ちょうど来ていた友人に双眼鏡を渡して監視を
お願いしてたら・・・、しばらくしてから「落ちたよ!」と。
ほんとそんなんばっかりですから、人は少ないほうが助かります。
もちろんきちんと登れる人、きちんと装備を持っている人は登ってもらっても全然構わないのですが、
そういう人にはちゃんと「登れるオーラ」があります。
服装の着こなしとか持っている装備とかそのパッキングの仕方とか
山を見つめる視線とか動作の一つ一つとか…。そういう人にはあえて声もかけません。
逆に登れない人にはそういうオーラが無いのが一目で分かりますから、
やはり「どこまで行くの?」と一声かけさせてもらっています。
もちろん私の答えは「無理」、「ダメ」、「また夏に来てください」です。(後略)




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